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歴史 中国をもっと知って旅に役立てよう!

世界で最も古い文明 中国

中国は世界で最も古く文明が現れた地域の一つといわれています。
紀元前7000年ごろから紀元前3000年ごろの先史時代、中国には、黄河文明(畑作中心の文明)と、長江文明(稲作中心の文明)の2つの文明が栄えました。

その後の、紀元前2000年から紀元前221年は先秦時代と呼ばれ、紀元前770年ごろまでは、夏、殷、周などの王朝が栄えました。しかしその後は諸侯が争う戦乱の春秋戦国時代へと入ります。この時代に商工業の発達や、貨幣の使用、鉄器の普及、農業生産の増大など、様々な文化の発達が起こります。また、後に中国思想の中心となる儒家も作られました。

秦の始皇帝と漢の劉邦

紀元前221年には、戦国時代の間に力をつけた秦によって、史上はじめての中国統一がなされます。紀元前206年に滅びるまで、文字・貨幣・度量衡の統一や万里の長城の建設などが行われました。

秦が滅びると、劉邦が皇帝となり漢が誕生します。紀元前141年に即位した武帝により、シルクロードを通じた西方との貿易が直接行えるようになります。

後漢末期の184年には、黄巾の乱と呼ばれる農民反乱がおき、それ以降、約400年もの間、一時期を除いて中国は分裂を続けます。

隋、唐、宋時代

589年に、中国を再統一した隋は、均田制・租庸調制・府兵制などを進め、江南・華北を結ぶ大運河の建設などを行いましたが、農民反乱が起き、618年に滅亡します。

その後、随に代わって唐が誕生します。唐は基本的に隋の支配システムを受け継ぎ、租庸調制を整備し、律令制を完成させました。

唐の滅亡後、960年に宋が誕生します。1127年に、金の圧迫を受け、宋は江南に移りますが、これ以前の宋を北宋、以降を南宋といいます。また、学問の面では、儒教の一派として朱子学が生まれました。

モンゴル帝国と明、清

13世紀初頭、モンゴル帝国のチンギス・ハーンによって、華北を支配していた金と、南部を支配していた南宋が滅ぼされます。モンゴル帝国は、1271年に国号を元と改め、中国支配をすすめました。

元の政治によって生活に困窮した庶民は、各地で反乱を起こしました。1351年に勃発した紅巾の乱は、その中でも最大規模のものでしたが、そこで頭角をあらわした朱元璋が、南京で皇帝に即位し、1368年に明を建国します。しかし、1644年には李自成によって滅ぼされます。

しかし李自成の軍隊は、清の軍隊によって打ち破られ、中国は清の支配下に置かれます。

現在の中国の成立

1911年に辛亥革命が起こり、各地の省が清からの独立を宣言し、翌1912年1月1日、革命派の首領の孫文によって南京で中華民国の樹立が宣言されました。北京にいた清の皇帝溥儀は、清朝政府内部の実力者である袁世凱により2月12日に退位させられ清は完全に滅亡しました。

その後、1949年10月1日に毛沢東によって中華人民共和国の成立が宣言されました。